学会不要論

先月の話ですが日経コンピュータ(2006.1.23)の特集記事「IT関連学会の憂鬱〜遠ざかる産業界との距離」を読みました。気になった部分をメモ。

東京証券取引所で大規模なシステム障害が発生したIT業界。日本最大のIT専門学会である情報処理学会は、この件に関して正式なコメントや見解を一切示していない。障害原因の究明にも乗り出していない。

「社外の人と技術的な意見交換をする場はどこか」という質問に対して「学会」と答えた件数はワースト2位。

ワースト1位は教育機関。トップ1位はセミナー。

4年近くシステム構築関連の研究会に参加していたが、「自社の業務に役立った論文は皆無だった」

情報処理学会の論文には、本数稼ぎとしか思えない”ライト・オンリー”なものが多い。ライト・オンリーとは、執筆者と査読者しか読まないという意味だ。

余剰金を使って(情報処理)学会内部の事務システムの導入に乗り出したが、システム開発に失敗したという、笑えない話もある。

日本におけるソフトウェア工学分野の学会は、日本ソフトウェア科学会と情報処理学会のほか、電子情報通信学会や言語処理学会人工知能学会などに分散している。

分派が同工学の発展にマイナス作用を及ぼした面があることは否めない。

分派して小さな学会を作っても、費用が足りず目立つ活動ができない。

(IEEE-CSは)出版収入と会議収入の合計で年間収入38億1140万円の85%稼いでいる。

国際学会ってそんな儲かるのか!

(国際会議の企画・運営では)
その分野の著名な学者・研究者と知り合い、人脈を広げる絶好の機会であるため、ボランティアに手を上げる人は多い

他にも色々と興味深い話が載っていたので、気になる人はぜひ記事を読んでみてください。

そして、この記事で一番重要だと思った部分。

(IEEE-CS前会長)ジェラルド・エンゲル氏は「インターネットにおける検索技術の進化に伴い、学会のあり方を根本から考え直す必要がある」と語る。

紙媒体で情報を売るモデルを変えていかねばならない、という問題意識だ。

情報処理学会の運営がよろしくない」というのは小さな問題で、そもそも学会&論文というシステム自体もう必要ないんじゃないの、ということ。

インターネット以前は、学会&論文システムを利用することで個人では難しい出版を行うことができて、研究成果を広めるにはこれが一番効率的な方法だった。
けど、インターネット(特にWeb)の登場によってこの状況は大きく変わってしまった。Webを使えばほとんどタダで情報を発信できるし、それを見る側にとっても(学会発表や論文に比べて)より新鮮な情報を、より手軽に探せて便利なわけで、もう学会を利用するメリットはもう無いのではないかと。

論文に色々堅苦しい決まりがあるのは共同出版や関連研究の検索をしやすくするためにそうなってたんだろうけど、Webを使えば論文みたいに字数を気にする必要も無いし、リンクがあるから参考文献も必要ないし、間違ってたらすぐ直せばよい。というわけで伝統的な論文というスタイルはいずれ「読みにくい・書きにくい・探しにくい」形式でしかなくなるでしょうね。

さらにソフトウェア系の研究に限れば、増井さんや高林さんによる学会不要論が全て語ってくれていると思います。
ユビキタスの街角: Web時代の論文

ネットワーク系とかインタフェース系とかユビキタス系とかの話について学会の存在意義はかなり疑わしく、もはや「権威づけ」としての意味しか無いと思われるが、今後はどうなっていくのだろうか。

http://blog.nagao.nuie.nagoya-u.ac.jp/nagao/archives/2006/01/google.html

以前に高林さんに言われた「Webに関する研究ってありえないですよ。だって、Webって考えたことがすぐに現実的なものになる世界だから、研究だとか言ってもったいつけないですぐ実験してみればいいんです。その結果、いいものは広まるし、そうでないものは黙殺される。役に立つかどうかよくわからない研究なんかで論文を書いているより、はるかに意義があります」という意味の言葉が未だに僕の胸に突き刺さっています。

高林さんに至っては研究不要論というべきか。
研究不要論はちょっと言いすぎ。「WebやUIといった応用よりな研究が不要」というべきでした。